1963年神戸営業所として設立され、当時は、重電メーカー向けに巻線・電線ケーブルの販売をしていました。1984年東灘区へ移転し3F建ての倉庫機能を拡大、関西支店と名称を変えました。
その際に、当時、川崎支店が発売当初から販売をしていた古河電工品・電線ケーブル用可とう電線管(エフレックス)の販売を開始し、西日本地域の卸商社として、販路拡大を目指しました。
本社営業グループ・山形支店とは異なり、基本的な取引については、エンドユーザーとなる電気工事会社へ販売するのではなく、電設資材の専門商社(電材店)へ販売する商流を重視して行うことにしました。各電材店からの注文納期は、当日午後・翌日午前中と即納ばかりで、エフレックスはサイズ毎に長さに切断をして納めるため、自社で配送トラックを最大4~5台で終日対応しており、緊急時は営業車でも配達をする毎日が営業のメインとなる仕事になっていました。
1995年 阪神・淡路大震災がありその後の神戸市内を中心とした復興建設のラッシュという背景の中、案件獲得を中心とした営業活動へ切り替わっていきました。
従来の取引先からの見積対応をする待ちのスタイルから、入札情報・建設情報をもとにして建設現場や工事会社への飛込み活動へ切り替わり、どの電材店と繋がりが強いのか?商流情報を掴むことで、電材店へ先手を打つ形となりました。
当然は戸惑いも勿論あり、時には勝手に現場へ訪問するなと怒られたこともありましたが、メーカー方々の協力の下で、技術的な知識。商品知識や相手との受け答えを学びながら、案件フォローに対して必要なノウハウが少しずつ築かれてきたと思います。まずは案件情報の早期獲得でしょうか。
如何にして競合メーカーより先に案件活動を行い、キーマンに会うことが必要ですが、当時は、まだネット検索の精度もなく、なかなか件名情報の入手が困難でした。メーカーとの件名会議(ゼネコン情報)・建設新聞(公共工事情報)などを通じてできるだけ早く現場フォローをすることも考えながら意識していました。
次には製品に関する知識となります。
直接、材料を使用する現場責任者の方への製品説明となるので、周辺工事材料との関係や法的規定などより製品に対して深い知識が必要となってきて、メーカー技術の方にも教えてもらいながら見につけたと思います。
また、カタログだけでなく、プレゼン資料・施工手順書・サンプルなどを持ち歩き、地道な活動を継続してきたことで、徐々に力をつける事ができ、案件フォローに対しての経験として繋がっていき、結果、大きな注文を受注した喜びが、自信にもなりました。
最後にこのような案件フォローを通じて、ご協力を頂いたメーカー担当者,取引先様,現場担当者などのそれぞれの人を通じての活動という事で、近年コロナ過の中でリモート化の世の中ではありますが、まず会うこと、人との繋がりがとても大切だと感じております。
このような管路材専門商社としての営業活動を通じて西日本最大級の大阪サッカートレーニングセンター・アウトレットモール私鉄新線建設工事・阪神高速トンネル新設工事・アミューズメントパーク空港関連施設等へ 数々の案件の材料を納めることができました。
今後も2025年大阪万博・IR(綜合型リゾート開発)などのプロジェクトへ向けて関西支店は拡販活動をしていければと、初心にかえり考えております。
執筆者:関西支店 課長 渡邊 敏之(1997年入社)